せかいがあなたのためにありますように。
あれは、2000年問題だとかミレニアムだとかで、世間が賑わっていた頃だった。
僕は呼び出しを受け、とある駅の一角へ向かっていた。
指定された場所に着くと、僕を呼び出した当の人物は既に到着していて、一服している真っ最中だった。
「神戸。」
髪の色は白銀、制服は白、総てが白一色に包まれている男は僕の姿を認めると、
胸ポケットから携帯用灰皿を取り出して煙草を消してから、軽く手を上げた。
「ご無沙汰しています。」
その人物に向かって敬礼する。この人は遙かに目上の存在だからだ。
「ああ。こうやって二人で会うのは久しぶりだな。いつも並走してるのに、何だかおかしな感じだが」
彼も軽く敬礼し、笑顔で僕を迎えた。
「お待たせして申し訳ありません。」
「いや、俺の方こそ業務中に急に呼び出したりして悪かった。この時間しか俺の空いてる時間が無くてな」
「お気遣いは無用です。ここ−新神戸は僕の駅からも近いですし。」
彼が着ている白い制服には我が社と関連グループ企業全体の命運を背負う責任と、
それに伴う絶大な発言力が秘められている。
故にこの制服を着ている人物に逆らえる者など、社内では殆ど居ない。
…それに、
「貴方からの呼び出しを無視出来ませんから」
僕は個人的にこの人には逆らえないのだ。
「可愛い事を言ってくれるじゃないか」
淡い水色を帯びた目が先程よりも優しく、親しげに微笑んだ気がした。
だけど僕は、その笑みを素直に受け止める事は出来なかった。
忙しい身の上であるこの人が突然呼び出してきたのだ、きっとまた何かあるに違いない。
「…それで、お話とは一体なんでしょうか。」
「本当は何処か落ちつける場所で、お前とゆっくり話をしたかったんだが…。
残念だが、世間話をしている時間はない。用件だけ手短に言うぞ。」
「はい。」
彼は懐から新しい煙草を取り出し、それに火をつけながら話し始めた。
「今日呼び出したのは、例の計画の事だ。」
「例の、計画……。」
僕は顔を強張らせた。
「……どうして、貴方がそれをご存知なのですか…?」
僕ら在来線よりも遙かに上の存在のこの人の耳にまで話が広まっているとは思いもよらなかったから。
「お前がなかなかウンと言わないと、お偉方から言われてな」
「貴方から説得して欲しい、と?…それで僕を呼び出したんですか?」
「ま、そう言う事だ。」
「これは、僕らと上の問題です。たかが在来線のことで貴方が出てくる事では…」
「他の連中だったら、俺も出しゃばったりはしないよ。お偉方もお前の事だから俺に言ってきたのさ。」
僕がこの人に逆らえない事を、上層部もこの人自身もよく知っているからか。
「正直、俺も理解しかねているよ。お前がどうして和田岬の電化を渋っているのか」
いい話じゃないか。そう言って、彼はゆっくりと煙草を吸った。
「2001年に市営地下鉄海岸線が開業し、路線には和田岬駅も含まれている。
うちとしては和田岬線の乗客をあちらさんに渡すのは面白くない…。
和田岬線経由で神戸線を利用する乗客は多くはないが、少なくもないからな。
それに震災以降、和田岬線の電化の要望は高まっている。」
「加えて、電化する事で輸送コストを削減し、増便させ更に収益を上げる…」
「お偉方の本心はこだろうよ。工期は3ヶ月、和田岬線の運休時間中に行う。
和田岬線はもとより神戸線…お前の方にも殆ど影響は出ないだろう」
「………。」
「準備は整っている。あとは本線のお前が承認して指揮を執るだけだ。
ここまで来ているのにお前が渋る理由はなんだ?」
「…………本計画に疑問はありません。むしろ僕も悪くない話だと解っています。…ですが。」
僕はそれ以上言葉を続けられず、押し黙った。
「ですが、なんだ?神戸。」続きを促される。
例えこの人でも、いや、この人だからこそ、先を言いたくなかった。
僕が和田岬の電化を渋る理由−それは自分の個人的かつ一方的な私情−ただの”我が儘”だと自覚していた。
この人が僕を説得しに出て来た事で、それを更に思い知らされたのだ。
「……これ以上は言いたくありません。……どうか…許して下さい…。」
僕の我が儘でこの人の手を煩わせてしまった。
申し訳なさと、どうしようもないほどの羞恥心がこみ上げて、
恥ずかしくて、恥ずかしくて
彼の顔を見る事が出来なくなって、僕は顔を伏せた。
「…………ふぅ。」
僕の様子を見て呆れたのか、彼は煙を吐き出すと同時に溜息をついた。
「あれが、和田岬がまた変わるのがそんなに怖いか?」
「………!伯父さ…!!」思わず顔を上げてしまった。
「そうなんだろう?神戸。」
僕の今の動作で肯定したと気が付いている筈なのに、−もしかしたら、最初から解っていたのだろうか−
あえて言葉で肯定しろと要求する。
「…………」
「神戸。」
「…………」
「………神戸?」
その声はとても静かだったが、強い圧力を、命令された時のそれと同じ様に感じた。
つまり伯父は、僕ら在来線の上に立つこの上官は「答えろ」と命令しているのだ。
ならば僕はその命令に従わなくてはいけない…。
「……その通りです。」
"命令"に従ったと同時に手の平が汗ばんでいる事に気が付いた。
どうやら僕は無意識に拳を握りしめていたらしい。
命令を下した本人は「やはり、か…。」と、また深く溜息をついてから僕を見た。
「だろうと思ったよ。お前はあれに固執してるから。正確には昔の面影に…だな。」
「………」
"昔の面影"
それは和田岬が遙か昔に活躍していた頃の事だ。
今よりも和田岬はずっと、ずっと、大きくて。
性格に難があったのは昔からだったけれど
ずっとずっと、僕とあいつは長い間を共に過ごしてきた。
僕は心の何処かで当時の和田岬を支えにしていた。
「……工場の閉鎖に伴う数々の駅の廃止と路線縮小、国鉄に買収され、そして民営化。
その度にあいつは、和田岬は変わっていきました。
今のあいつは、昔の事をどれ程憶えているのかどうかも、解らない。
……時代の流れ…そう云うものだと、仕方のない事だと理解しているつもりでした。」
だけど。
「だけど、伯父さん。その一言で片付けるのは、僕には難しい。」
今の和田岬には、昔の和田岬の面影は殆ど残されていない。
あいつを見る度にそれを思い知らされて、そんな風に考えてしまう事が申し訳なくて。
殆ど構ってやらずに、阪急に対抗する事にばかり没頭した。
そして、電化する事でまたひとつ、あの頃の和田岬の面影が消える。
「……貴方は、貴方達はまた和田岬を変えてしまう……!」
「そうだ。」
静かに話を聞いていた伯父は、打ち捨てるかの様に淡々と言い放った。
先程まで手にあった煙草はもう消されていた。
「時代は変わっていき、我々はそれに併せて常に変化しなくてはならない。
受け入れなくては我々は走れまいよ。
…お前も理解している筈だろう。我が社の在来線のトップを担う者のひとりとして。」
「………はい。」
「本件は上層部が決定を下した事柄、個人的な感情などで左右すべきものではない。」
「理解しています。上の決定は絶対…。我々はそれに従うのみ。」
「その通り、逆らう事は許されない。”私”がお前の目の前に立っている意味、解っているな?
−これは”お願い”ではなく”命令”であると。−そう言っているのだろう。
和田岬線電化の計画に元々逆らう気はなかった。
承認する−和田岬の面影がまたひとつ消える−心の準備が欲しい
僕が返答を渋っていた理由はただ、それだけだった。
だが、上層部はそれを良しとはしてくれなかった。当然の事だろう、僕の私情なのだから。
だから僕が逆らえないこの人を寄越してきた。−圧力の意味を込めて。
「神戸線−いや、山陽本線。」
なんの感情も込められていない淡々とした、しかし絶対的な圧力を含んだ声。
我がグループ内トップの一角を担う、山陽新幹線と呼ばれる人の声。
「上層部に代わりJR西日本のトップとして命ずる。2001年を目処に速やかに和田岬線を電化させよ。」
僕は再び彼に向かい敬礼した。
「−拝命仕ります。」
応えた声は自分でも驚く程に冷静だった。
ふいに彼は手を伸ばし、僕の頬を優しく撫でた。
「…神戸。」
先程とはうって変わった、柔らかで親しみのある声で僕の名前を呼んだ。
「…はい。」
「確かに、今の和田岬に全盛期の面影はない。そして今後も変わっていくだろう。我々も、然りだ。」
「……はい。」
「だがな神戸。時代が変わり、姿形が変わっても、お前達本線と支線自身の間柄は絶対に変わらない。
……昔、あれがお前にそう言ったんじゃなかったか?」
気が付くと僕は、僕より小柄な伯父に抱きしめられていた。
いや、僕の方から抱きついてしまったのかもしれない。
だけど、今はそんな事どうでもよかった。背中に回された手が暖かかったから。
「時代に取り残される者は消えるしかない。その点だけは平等だ、お前達在来線も"俺達"も、な。
……いや、寧ろ俺達の方が……時代に取り残されまいと必死なのかもしれんな…。」
伯父は小さく何かを呟いた。
声は小さすぎて僕には聞き取る事ができなかったけれど。
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2001年7月、和田岬さんは工期3ヶ月という驚異的なスピードで、電車化を果たしました。
和田岬さんと走り続けて120年、JR神戸さんは最盛期から縮小されたり変わって行ったりしていく自分の支線を間近で見て、心中如何なものだったのかなーと、妄想。
ついでに、JR神戸さんのWikiを読んでいたらば、特別扱いされてる云々の記事にときめいたので上の人妄想も(爆)
JR神戸さんは、上の人をすんごく尊敬しているといいと思うyo!
上の人もJR神戸さんを可愛がってるといいと思うんだぜ…?
…というわけで2008年7/16のブログに書いたのものを、一部修正してサルベージしてきました。
以下ちょっと手前味噌でアレな話。
この頃は和田岬さんの脳内設定が「おっきい和田岬=国鉄まで・ちっこい和田岬=JRから」で勢いに任せて書いてました。
今の和田岬さんの脳内設定は「おっきい和田岬=電化まで・ちっこい和田岬=電化から」なんで、
色々と話が矛盾しちゃってるんですが、サイトお引っ越しで旧ブログにそのまま残してデリートするのがなんとなくもったいなかったのでサルベージです(貧乏性め)
でっていう。
2009/12/07